プロ野球 引退スピーチ/挨拶/コメントの名言、格言、いい言葉。

プロ野球、引退スピーチ/名言

プロ野球選手の引退時のスピーチ、挨拶、コメントは涙を誘い、感動を呼び、人生の教訓となる名言が多々あります。

「我が巨人軍は永久に不滅です。」

「野球はいいもんだぞ! 野球は楽しいぞ!」等、いくつか厳選して紹介させていただき、

皆様のなにかしらの参考になればと幸いです。

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長嶋茂雄

昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために絶大なるご支援をいただきまして誠にありがとうございました。
皆さんから絶大なるご支援、熱烈なる応援をいただきまして、今日まで私なりに一生懸命野球生活を続けて参りましたが、いまここに体力の限界を知るにいたり、引退を決意いたしました。
振り顧みますれば、17年間の現役生活、いろいろなことがございました。
試合をひとつひとつ思い起こす時に、好調時には、皆様の激しい大きな拍手をいただき、この背番号3の闘志をさらにかりたて、また不調の時には皆様の温かいご声援が今日まで私を支えてきました。

不運にも、我が巨人軍はV10を目ざして監督以下選手一丸となり、死力を尽くして最後の最後までベストを尽くして戦いました。しかし、力ここに及ばず、10連覇の夢は破れ去りました。

私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です。

今後、微力ではありますが、巨人軍の新しい歴史の発展のために、栄光ある巨人軍の明日の勝利のために、今日まで皆さまがたからいただいたご支援、ご声援を糧としまして、さらに前進して行く覚悟でございます。
長い間、皆さん、本当にありがとうございました。

堀幸一

全く悔いがないと言えば嘘になるが、トライアウトも受け、やることはやったのですっきりしています。やっぱり野球が大好きですし、この先も野球をやりたいという気持ちは正直今でもありますが、そうも言っていられない事情もありますし、まず第一に家族のことを考えていかないといけないというのが、ここ何日間か頭に入るようになってきたので、もうそろそろけじめをつけたほうがいいかなと思うようになりました

原辰徳

本日は私のために、こんなに素晴らしい引退式を行うことができました。
これも一重に、私を育ててくれた巨人軍、先輩、チームメイト
そして何よりファンの皆様のおかげだと思っております。
どうも有難うございました。
アキレスけんが切れるまで、グラウンドで頑張ろうと思っていました。
しかし、限界です。
巨人軍には巨人軍独特の何人も侵すことのできない聖域があります。
私はこの15年間、それを肌で感じ、守って参りました。
今日で巨人軍、原辰徳として最後の挨拶となります。
皆さんに報告しなければ、自分のけじめもつきません。
特に今年一年、声援を送ってくれた皆さん、生涯忘れることはありません。

1980年、ドラフト一位で巨人が指名してくれて
私は巨人の一員となりました。
小さいころ、野球選手になりたい、ジャイアンツに入りたい
その夢を持って頑張りました。
そして今日、その夢は終わります。
しかし、私の夢には続きがあります。
その言葉を約束して、今日、引退します。
最後になりますが、読売巨人軍は、ファンの皆様の球団です。
どうぞ、末長く声援よろしくお願い致します。
そして、最後まで見届けてもらいましたカープの皆さん
有難うございました。
15年間、本当に皆さん、有難うございました。

野村謙二郎

「こんなにたくさんお客さんが入ってくれると楽しくないですか、皆さん! 僕は引退しますが、カープは新しい一歩を踏み出した気がします。今日集まっている子供たち! 野球はいいもんだぞ! 野球は楽しいぞ!」。

山崎武司

僕のプロ野球人生のなかで大きなことが二つありました。
一つ目は、10年ぶりに我がふるさとドラゴンズに帰ってきて現役としてまたユニホームを着られたことです。
そしてもう一つは2年半前に東北で震災にあいましたが、僕は楽天イーグルスに所属してました。
そんな中、被災者の方々に本当に暖かい応援をいただき、そして生きる力、あきらめない心を教えていただきました。
本当に東北の方々には、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

そして我がドラゴンズは、残念ながら12年ぶりのBクラスということで本当にファンの皆さんの期待を裏切ってしまい、大変申し訳なく思っております。
でも、またこの秋から、しっかり練習し、そして今年なぜ勝てなかったかを反省し、並んでいる僕の後輩たちが、必ずやまた強いドラゴンズを取り戻してくれると思います。
みなさん期待していてください。

そしてドラゴンズの選手の皆さん、1年でも長くユニホームを着てください。
中日ドラゴンズには、僕の先輩である山本昌さんがいます。山本さんには負けたくない、そう思いました。でも負けてしまいました。
後輩諸君、山本さんに少しでも近づけるよう、そして少しでも追い越せるよう頑張ってください。
応援しています。
最後になりましたが、27年間大きなけがもなく、そしてこの強い身体を生んでもらった両親に感謝をしております。
そして家族のみんな、そして僕の携わった方々、本当にありがとうございました。
あしたから、第二の人生がはじまります。
またドラゴンズ、そしてプロ野球界に恩返しをできるよう、これから精進していきたいと思います。
今日は本当にありがとうございました。

金本知憲

まず最初に僕を生んでくれた両親、アマチュア時代から、広島時代、阪神時代、僕の野球人生に関わったすべての人々に心より感謝申し上げます。

思い返せば10歳の時に野球を始め、常にプロ野球選手を夢見てボールを追っかけてきました。その夢がかなったのは、21年前の、地元、生まれ育った広島カープへの入団でした。
プロ野球の世界は、自分が思ったよりもとにかく厳しい世界でした。必死にバットを振って、必死に重たいバーベルをかついで、一生懸命、本当に一生懸命、無我夢中でやってきましたが、なかなか結果が出ず、苦しい思いをした最初の3年間でした。今のその3年間の苦しみというものは、僕の野球人生、僕の人生そのものにおいても大きな財産となっています。
2003年にタイガースに移籍してきまして、いきなり、感激の優勝を味わわせていただきました。立て続けに2005年も4番としてリーグMVPを獲得し、また優勝させていただきました。2003年からは常に、この甲子園球場、毎年300万人の観客を動員し、あのジャイアンツにも10年間で2回しか負け越していません!
この甲子園球場というのは、自分の持っている力以上のものを引き出してくれました。
しかし、そうも人生はうまくいきません。
3年前に肩をケガしてからは、自分の思うようなプレー、パフォーマンスを出すことができなくなりました。それから、常に引退の2文字が頭をよぎるようになりました。自分でも「もう辞めたい、もう嫌だ」と悔しい思いをしながらも、ファンの皆さまの「あの金本の特大ホームランがもう1回見たい、あの弾丸ライナーのホームランがもう1度見たい、もう1度3割30本を打つ金本が見たい」という声に励まされ、必死にリハビリに励んできました。
しかし、なかなか元のパフォーマンスに戻ることはできず、今日ここでユニホームを脱ぐ決意をしました。
悔いや心残りはたくさんあります。チームとして2回優勝を経験しましたが、最後にもう一度優勝したかったです!そして阪神ファンが一番喜ぶ瞬間である日本一という瞬間を、この甲子園球場で、どうしても達成したかったです。残念ながらその悔いと心残りは、今日ここにいる後輩たちに託すことにします。
DeNAベイスターズの皆さん、今日は自分の引退セレモニーにご参列いただきありがとうございます。DeNAベイスターズは今年、中畑新監督を迎え、チームの雰囲気もガラッと変わり、常に注目されるチームになりました。しかし、一番目立っているのは監督でした。選手の皆さん、選手より監督が目立つようではダメだと思います。

監督より選手が目立つことを、中畑監督も望んでることと思います。来年ベイスターズが優勝争いをするようなことになると、一番日本で注目されるチームになると思います。日本球界のためにも、何とか来年、意地を見せて優勝争い、期待しています。
最後になりますが、もう僕は、この甲子園の左バッターボックスでフルスイングすることはありません。ダイヤモンドを全力で走り抜けることももうありません。レフトのポジションでボールを必死に追いかけることももうありません。正直言ってさみしいです。やり残したことはたくさんあります。僕のやり残した分まで今ここにいる後輩たちが、僕の分まで必ずやってくれると信じています!
そして外野を守っていると「アニキ夢をありがとう」とか「ありがとう」とかいろいろ、看板というかボードが目につきます。それは僕が、ファンの皆さまに言いたい言葉です!
タイガースに移籍してきて本当に快く迎え入れてくれたファンの皆さん。たまにきついヤジもありましたが、こんな僕でも、成績が落ちた時でも、大多数のファンは「頑張れ、頑張れ」と背中を押してくれました。阪神ファンは、あったかかったです。優しかったです。
最後に、最後に、ファンの皆さまに一言。
本当に、夢をありがとうございました!心から、ありがとうございます。そして、野球というスポーツ、野球の神様、ありがとうございました。

松井秀喜

私、松井秀喜は、本日をもちまして、20年間になりましたプロ野球人生に区切りをつけたいと思い、20年間応援してくださったファンの皆様、そして、報道関係の皆様に感謝の気持ちを伝えたく思い、このような記者会見を開かせていただきました。

この決断にいたった一番大きな原因としましては、今年シーズンですね、3ヶ月くらいしかプレーできなかったんですが、少し、今までと違うスタートとなりまして。マイナーリーグからスタートしまして、メジャーリーグにあがり、そこで、最初は多少結果も出たのですが、その後たくさんのプレーする機会もいただき、非常に重要な、だいたい試合に出るときはクリーンナップという形でね、出させていただいたにも関わらず、結果が振るわなかったと。そのことが一番大きな要因だと考えています。

僕が10年前にメジャーに挑戦するときにですね、命がけでプレーし、メジャーという場で力を発揮するという気持ちで10年間やってきましたけども、先ほども言いましたが、やはり結果が出なくなったと。そこでね、命がけのプレーも終わりを迎えたんじゃないかと思っています。

僕の野球人生をですね、ぱっと振り返ってみますと。北陸の小さな町で生まれ育ち、そこで野球を始め、地元の高校に進学しまして、小さなときからの目標だった「甲子園に出る」という目標を達成することもできましたし。そこで注目していただき、高校3年生のときに、ジャイアンツからね、ドラフト一位で指名していただくという。長嶋監督、当時の長嶋監督にくじを引いていただき、ジャイアンツに入団するという。すごい光栄なことだったと思っています。

そしてジャイアンツで、その長嶋監督に出会い、日々、毎日ですね、2人きりで指導していただき、その日々がその後のね、僕の野球人生にとって、本当に大きな礎になったと思っています。その出会いに関しましては、僕にとって本当に大きなものでしたし、長嶋監督には感謝してもし尽くせないくらいの気持ちでいっぱいです。そしてジャイアンツでも、10年間で3度の日本一になることができましたし、日々充実した時間をジャイアンツで過ごさせていただきました。

僕が外野のセンターにコンバートされるときにですね、長嶋監督から「ジョー・ディマジオのような選手を目指せ」という風な言葉をいただいてですね。当時の僕はね、もちろん名前は知っていましたけども、ヤンキースというチームがどんなチームなのかぼんやりとしか知らなかったですけど、その言葉がですね、ずっと僕の頭の中に残り。1999年のオフだったと思うんですけども、その年は日本シリーズに進出することができずにちょっと時間ができて。ニューヨークのヤンキースの試合を一度でいいから観てみたいと思って行って、そこで観たヤンキースのゲームが僕にとって大きな、何か運命だったように思います。

やはりヤンキー・スタジアムで、そこでヤンキースの選手たちが放っている空気といいますか、そしてヤンキー・スタジアムの雰囲気、それは一言で言い表せられないくらいの衝撃を受け、その3年後に自分がFAになることは分かっていたのですが、そこで、3年後に、「このチームに欲しい」と言われる選手になりたいという気持ちで、そこでジャイアンツの4番バッターとしてやっていくんだという気持ちで、やってきました。

そしてて3年後に、まぁ10年前ですけど、運良くヤンキースにも誘っていただき、当時は本当に悩んで、苦しい思いも「移籍する」ということに対してしたんですけど、憧れのヤンキースのユニフォームに袖を通して、7年間もプレーできたことは、僕にとっては、本当に最高の出来事であったし、最高に幸せな日々でした。ヤンキースの一員として「初めて」ヤンキー・スタジアムでプレーした日のこと、またヤンキースの選手として「最後に」ヤンキー・スタジアムでプレーした日のことは、おそらく一生忘れることなく、僕の心の中に一生あり続けることだと思います。

その後もですね、エンゼルス、アスレチックス、そして今年のレイズと、1年ずつでしたけど、プレーする機会をいただき、なかなか力になり切れない部分もありましたが、素晴らしいチームでプレーできたことは、僕の人生にとってはですね、大きな意味のあることだったと思います。

ここ1年、2年くらいからですね、成績も若干下がり気味になってきまして、5、6年前くらいからですね、両膝の調子もあまり良くないこともあり手術もしまして、まあ体力的にですね、多少下り坂な中で、手術した後もですね、なんとか騙し騙しやってこれたこともあると思いますが、今日、こういう形で皆様にご報告することになりました。

この20年間本当にたくさんのファンの方に応援していただき、それが僕の大きな力になりました。そして素晴らしい指導者の方と出会い、素晴らしいチームメイトと一緒にプレーすることができたこと、僕にとってはおそらく一番大きな誇りなんじゃないかと思います。

今後につきましては、まだ本当にハッキリ決めたのはですね、あまり時間が経っていませんので。今後につきましてもまだ決めておりませんが、まあ少しね、ここでゆっくりしながら、今後のことを考えていきたいと思っています。

本当に20年間、ファンの皆様、温かい声援をくださり、ありがとうございました。

里崎智也

「怒ってばっかりいていい先輩ではなかったかもしれないですけど、みんなの球を1球ずつ受けて勝ちをつけてあげることができて本当に幸せでした

来年2015年は21世紀に入って千葉ロッテマリーンズが最も輝く5年に1度のゴールデンイヤーの周期が来ます」。05年、10年ともに日本一に輝いているだけに、15年は5年周期で日本一になる年だと確信しての一言。「これからの時代を担う選手たちが必ず来年日本一になってくれると僕は信じています」

前田智徳

24年間、温かい声援をありがとうございました。球団オーナーを始め、監督さん、スタッフ、裏方のみなさんに、励ましていただき、支えられながら、ここまで乗り切ってくることが出来ました。

この広島で、広島東洋カープで一途に野球ができたことを誇りに思っています。そして、どんなときも支えてくれた両親と家族に本当にありがとうと言いたいです。

カープは16年ぶりにAクラスに入ることができました。監督さんを始め、コーチ、裏方さんが力を合わせて、若い選手を、ベテランを指導してここまでこれたと思います。

自分がこの中にいないのは、さみしいですが、これを節目に強いカープとなって、未来のカープが明るくなることを祈って、今日をもって引退します。

高木監督、ドラゴンズの皆さん、今日はありがとうございました。ドラゴンズの来季の巻き返しとチームのドラゴンズらしい野球を期待しています。

最後にもう1度、応援してくれたファンの皆さん、すべての方々に感謝しています。長い間、本当にありがとうございました。

宮本慎也

まずはじめにこのような舞台を用意していただきましたヤクルト球団に感謝いたしたいと思います。ありがとうございました。最後まで残っていただきましたタイガースファンのみなさま、ありがとうございました。

1995年、ヤクルト入団以来たくさんの方にお世話になり、やってこれました。

私が最も影響を受けた方、野村監督。野村監督にはプロ野球で生きるすべを教えていただきました。若松監督にはレギュラーとしての自覚。古田監督には中心選手としての責任。高田監督には選手寿命を延ばしていただいた三塁手へのコンバート。小川監督には常に体調面で気遣っていただき、ベストな状態で試合に臨めるよう、配慮していただきました。その小川監督は私の担当スカウトでもあります。小川監督の下でユニホームを脱げることを幸せに感じています。

そして今まで教えていただいたコーチの方、チームメート、裏方さん、トレーナー、球団スタッフのかた。いい仲間に巡りあえたからこそ、ここまでやってこれました。ありがとうございました。

稲葉篤紀

僕は全力疾走でここまでやってきました。この全力疾走ができる体に産んでくれた両親、今日まで見守ってくれた家族。この場をお借りしまして、挨拶をさせてください。本当に今日までありがとうございました。

そして一番感謝をしなければいけないのがファンの皆さんです。ヤクルトでは必殺仕事人。ファイターズでは稲葉ジャンプと本当に素晴らしい応援で後押しをしていただきました。そして勇気づけていただきました。これを来年見れないと思うととても寂しい気持ちでいっぱいですが、これは僕の一生の思い出として僕の胸の中にしまっておきたいと思います。本当にありがとうございました。

しかし、まだクライマックスという大事な試合が残ってます。ここにいる全員で戦っていきましょう。どうか最後まで熱いご声援よろしくお願いします。

最後になりますが、これからのファイターズ、どうかみなさんの応援でまた勇気づけてあげてください。そして新しい歴史を築いていってください。そして、中田翔のことをよろしく申し上げまして挨拶と代えさせていただきます。

稲葉篤紀に悔いなき20年間。そして最高の20年間。ありがとうございました。

金子誠

北海道日本ハムファイターズ金子誠、引退します。
東京で多摩川の河川敷から始まって、厳しい先輩、厳しくも愛情たっぷりの尊敬できる先輩たちのもと囲まれて、野球人としての土台ができたと思います。
北海道に移転して11年、自分自身生まれ変わった野球選手として、北海道の大地と温かいファンに囲まれ、とても素敵な11年を過ごすことができました。
野球は一人ではできません。ライバルであり、仲間であるチームメート、裏方さんやトレーナーの支え。一緒になって用具のことを考えてくれるメーカーの方。そしてファンの声援。何よりも家族の大きな支え。いろんな人たちに支えられて、大好きな野球をさせていただきました。本当に感謝しています。

最後はこんなにも支えられていたのに、自ら引退する決断をしてごめんなさい。ファイターズはこれからもまだまだいろんな歴史やドラマを作ってくれる球団だと思っています。
この先もチーム、ファン、北海道が一緒になって素敵な歴史やドラマをみんなで作っていってください。
金子誠の野球人生はファイターズという一本の川の流れに乗り、21年の時をへて今、大海原にたどり着きました。最後に、今日は僕のために集まってくれて有難うございました。皆さん、家に帰るまでは気をつけて帰ってください。21年間、本当に有難うございました

井口資仁

このようなセレモニーを行っていただいた、ロッテマリーンズの関係者の皆様、最後まで残っていただいたファンの皆様、本当にありがとうございました。

ホークスで8年、アメリカで4年、マリーンズで9年、常にチャレンジを忘れず、挑み続けてきました。入団当初の目標だった2000本安打、メジャー挑戦、40歳まで現役。他の選手では経験できないことを多く経験させていただき、自分自身の宝になりました。そして、21年間、多くの皆様に応援していただき、今日の引退試合、そしてこのセレモニー、本当に最高の野球人生だったと思います。

小さい頃から夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、また明日から次の夢、目標に向かって、精いっぱい頑張ります。そして、ますますの野球発展、野球振興のために尽くすことが、皆様への恩返しだと思っております。

わがマリーンズですが、このような順位で終わるチームではありません。まだまだ、伸びしろのある中堅、若手選手がたくさんいます。ぜひ、皆さん、今以上に熱い声援をよろしくお願いします。そして、選手の皆様、来シーズンはこの悔しさをファンとともにぶつけて、このマリンスタジアムにチャンピオンフラッグを掲げて下さい。選手の皆さん、期待しています。

最後になりました。21年間、熱い声援をいただいたファンの皆様、チームの皆様、サポートしていただいた球団の皆様、全ての皆様方に感謝して、今日、ユニホームを脱ぎたいと思います。21年間、本当に、本当に、ご声援ありがとうございました。

安藤優也

まず始めに、このような盛大なセレモニーを用意して下さいまして、球団関係者の皆様、チームのみなさん、阪神園芸の皆さん、本当にありがとうございます。

そして、最後まで残って下さいました阪神ファンのみなさま、中日ドラゴンズファンの皆様、最後までありがとうございます。

2017年、今季をもちまして私、安藤優也は現役を引退します。

2002年4月14日、小さいころから憧れていたこの甲子園で初めて投げた時の感動、興奮は今でも鮮明に覚えています。

プロ初勝利もこの甲子園でした。あれから16年がたちました。いい思い出、悪い思い出、悔しい思い出たくさんありますが、今振り返ってみると、あっという間の16年間でした。

阪神に入団して、今日まで自分なりに必死に全力で駆け抜けてきました。幼いころから体が弱く、ケガの多かった自分が、まさか40の年まで現役でいられるとは夢にも思っていませんでした。

大した能力もなく、大した選手ではありませんでしたが、自分の力をすべて出し切った。そう思っています。

現役生活に、ほぼ悔いはありません。しかし、一つだけ心残りがあります。それは3度の日本シリーズに出場しながら、一度も日本一になれませんでした。それが唯一の心残りです。

日本一という名誉、日本一という目標を今、ここにいるチームメート、そして鳴尾浜で1軍を目指して必死に頑張っている後輩たちに託して、今日ユニホームを脱ぎたいと思います。憧れの甲子園が仕事場となり、その憧れの甲子園で最後、ユニホームが脱げる私は幸せものです。

最後に、いい時も悪い時も変わらず支えてくれた家族、友人、ありがとう。そして、いつも熱い温かい声援で背中を押してくれた阪神ファンの皆様。色んな形でサポートしてくれた知人。チームの皆様、この場を借りて、感謝お礼を申し上げます。

私の長い野球人生を共に走って頂き、本当にありがとうございました。おかげさまで走り抜くことができました。

阪神タイガースと日本一の阪神ファンがこれからも、この甲子園より野球界を盛り上げていくことを願い、またそれを確信し、感謝の気持ちと共に最後の言葉とさせて頂きます。

本日は本当にありがとうございました。

森本稀哲

サッカー少年だった僕が、友達に誘われ、始めた野球。その野球にのめりこんで、25年の月日が経ちました。『プレイFAN 全力でプレーする』『HAVE FAN 野球を楽しむ』。この2つをキーワードに、プロ17年間、今日まで走り続けてきました
ファイターズで12年、ベイスターズで3年、両チーム球団フロントのみなさん、チームスタッフの皆さん、チームメイトのみなさん、そしてファンのみなさん、本当にありがとうございました。
そして、何より、ここ最後の2年間、プレーをさせていただいた、埼玉西武ライオンズ、チームの皆さん、このようなすばらしいセレモニーを最後に用意していただいて本当にありがとうございました
ライオンズのチームスタッフの皆さん、球場管理の皆さん。本当にありがとうございました。
そして、最後まで残っていただいた楽天のコーチ選手皆さん本当に有難うございます。
イーグルスファンの皆さんも最後まで参加いただきありがとうございます。
決して満足のいく成績ではなかったにも関わらず、いつも温かい声援を頂いた、ライオンズファンの皆様本当にありがとうございました。
一番近くで応援してくれた家族。調子が良い時も悪い時もいつも同じように美味しいご飯を作ってまっていてくれたゆみ、本当に有難う。そして、これからもよろしくお願いします。
最後に、ライオンズのチームメイトの皆さんこの決断をするまでに、最後の最後までに心に残ったのは皆の顔でした。正直、皆ともうちょっと野球がしたかったです。
今日も、8回の裏、あの、皆のベンチでの稀哲さんに回せというその言葉に、本当に感動しました。
みんなとの、楽しかったことや悔しかったことはとても良い経験として、思い出となり、次の人生に活かしたいと思います。本当にありがとう。
プロ野球選手としての森本稀哲は今日で一括りですが、このプロ野球界で経験した、楽しかったことや悔いの残ったことは、次の人生で活かし、また新たなスタートを切りたいと思います。
野球というスポーツに感謝。17年間ありがとうございました。

三浦大輔

本日は私、三浦大輔のためにこのようなセレモニーを開いていただき、本当にありがとうございます。1992年に大洋ホエールズ最後の試合でプロ初登板をしました。その時、遠藤一彦さんの引退試合があり、2年目には斎藤明夫さんの引退試合があり、それをグラウンドレベルで見て自分も将来、こういう引退セレモニーをしてもらえる選手になりたいと思って頑張ってきました。

あれから25年。楽しいこともいっぱいありました。僕が勝って喜んでいる以上に皆さんが喜んでくれて、僕はそれを見てまた喜んでいました。しかしそれ以上にいっぱい負けました。今日も最後の最後まで皆さんに迷惑かけて本当に申し訳なかったと思います。

苦しい時もいっぱいありました。心が折れそうな時もいっぱいありました。でも頑張ってこれたのは、本当に皆さんが背中を押してくれて声援を送ってくれたおかげで、ここまで倒れずに前を向いて一歩ずつ踏みしめてこれました。本当にありがとうございます。

たくさんの人に愛されたと思っています。感謝しています。いろいろ考えてきたんですけど、頭の中が真っ白です。今は本当に最高に気分がいいです。できることならこのまま時間が止まってくれればなと思っています。でもチームはクライマックスシリーズが控えています。やっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかった時を乗り越えてやっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます。

横浜一筋で25年こられたのもみなさんのおかげです。これからの人生も横浜一筋でこられたことを誇りに頑張っていきます。ヤクルトスワローズの皆様、最後までお付き合いいただき誠にありがとうございます。ファンの皆様も本当にありがとうございます。横浜DeNAベイスターズのスタッフ、選手、監督、コーチ、球団職員の皆様も本当にありがとうございます。そして普段はなかなか口に出して言えないですけど、グラウンドではファンの皆様に支えていただきました。家に帰れば、家族が三浦大輔を支えてくれました。本当にありがとう。三浦大輔を25年間応援していただき、本当にありがとうございます。感謝します。

今シーズンをもちまして現役を引退いたしますけれども、これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨロシク!ありがとうございました!

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